新年度が始まったせいでしょうか
京都駅前は人が多くて賑わっていました。
ふと見上げると、京都タワーにあかりが灯っていました。
思わず立ち止まって、見入ってしまいました。
見慣れたはずの京都タワー。
今日は何だかとても輝いて見えました。
あかりの灯る有り難さ
明るく照らされ、心が温かくなりました。
日本中に灯りが満たされます様に・・・
![]() ご覧頂きありがとうございます。毎日感謝で幸福(口福)を感じ、心も体も福が満ちる様(満福)心がけている京女の徒然日記です♪ by hk44444 |
桜も開花して京都は段々春めいてきました。
新年度が始まったせいでしょうか 京都駅前は人が多くて賑わっていました。 ふと見上げると、京都タワーにあかりが灯っていました。 思わず立ち止まって、見入ってしまいました。 見慣れたはずの京都タワー。 今日は何だかとても輝いて見えました。 あかりの灯る有り難さ 明るく照らされ、心が温かくなりました。 日本中に灯りが満たされます様に・・・ # by hk44444 | 2011-04-01 22:55
大丸ミュージアムKYOTOで開催中の「没後80年 金子みすず展」へ行ってきました。
ACのコマーシャル(「こだまでしょうか」)の影響か、平日でも凄い人出でした。 金子みすずを愛する63人の著名人が寄せるメッセージや書画・イラストなどにはそれぞれの解釈があり興味深かったです。 特に印象的だったのが、早坂暁氏によると、前ローマ法王にこの詩を英訳してお伝えした所、「何万人の神父によってもこれだけ判りやすく明快には伝えきれない。」と涙を流された詩。 ************************ 「はちと神さま」 はちはお花のなかに、 お花はお庭のなかに、 お庭は土べいのなかに、 土べいは町のなかに、 町は日本のなかに、 日本は世界のなかに、 世界は神さまのなかに。 そうして、そうして、神さまは、 小ちやな(ちいちゃな)はちのなかに。 ************************ 他にもACのCMの「こだまでしょうか」や「大漁」「積もった雪」「星とたんぽぽ」「土」など有名な詩が次々と展示されていました。 そして、63人の著名人の最後を飾ったのが、実娘の上村ふさえさんでした。 大正15年生まれのふさえさんは自殺した母を理解できずにいた時期もあった様ですが、3歳の自分の言葉を綴った「南京玉」を読んで、いかに愛されていたかを知ったそうです。 きっと天国でテルさん(みすずの本名)も喜んでおられるでしょう。 # by hk44444 | 2011-03-25 00:13
平成23年3月23日、センバツ高校野球が開幕しました。
選手宣誓、素晴らしかったです。 「宣誓。私たちは16年前、阪神淡路大震災の年に生まれました。 いま、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。 被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。 人は仲間に支えられる事で、大きな困難を乗りこえる事ができると信じています。 私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦う事です。 「がんばろう!ニッポン!」。 生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。」 まっすぐで、力強い言葉に勇気をもらいました。 ありがとう。 # by hk44444 | 2011-03-24 00:38
「日本を信じよう」
週刊ポスト4月1日号のタイトルです。 http://www.zassi.net/mag_index.php?id=51 とても胸に響きました。 ![]() # by hk44444 | 2011-03-23 00:10
週刊ポスト4月1日号にて
ビートたけしさんの言葉。 「よく「被災地にも笑いを」なんていうヤツがいるけど、今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯(ざ)れ言でしかない。しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。 オイラたち芸人にできることがあるとすれば、震災が落ち着いてからだね。悲しみを乗り越えてこれから立ち上がろうって時に、「笑い」が役に立つかもしれない。早く、そんな日がくればいいね。」 「常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。 今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒瀆だよ。 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。 本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。 一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことの方がずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。 そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。 だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。その地震の揺れの大きさと被害も相まって、日本の多くの人たちが現在進行形で身の危険を感じているわけでね。その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。 逆にいえば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかという証拠だよ。海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心からその重さがわかるんだよ。」 重みのある言葉です。 # by hk44444 | 2011-03-22 21:56
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